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いまの悩み

いまの悩みは就労時間中に上司に嫌われないで
一息つくためにはどうすればいいかということなのだが

インターネット(携帯キャリア回線)が通じないトイレがあることは難点


というか昆虫って面白い
実は宇宙生物説とか
よく考えるまでもなくカブトムシのあのサナギから成虫になる状態って神秘だよな
うす茶色い角が伸びてる写真とか小さいときみたのに今でも鮮明に覚えてる
で、まあサナギって神経と呼吸器以外液化してるってほんとなん??

一件落着

仕事を辞めてよかった

はじめて今日そう思える日がきた

僕はどんなことをしていたってやりがいを感じることができるのだから
いっそのこと能力にあった仕事を選べばすべてが解決
一件落着なのだ

ということで

少し面白い話

土曜の日暮に「お笑い演芸館」を観ていたとき
ハマカーン(割と好き)という芸人が飲み会で唐揚げについてきたレモンをかけるかについての葛藤をネタにしていたのを聞いて
ある友人と天六にある寿司屋のカウンターでこんな話をしたことを思い出した

友人「醤油かける?小皿にする?」
俺「直接かけよっか」
友人「そういや職場の飲み会でサラダの取り分けをどうするかとか迷った?」
俺「あったあった新人の頃は指導をたまわったよ」
友人「そっかうちはそういうのなかったけどな」
俺「唐揚げのレモンもかけちゃう?」
友人「それは一応聞くけどね」
俺「どうでもいいけどそういうことを気にする人もいるから一応聞かなきゃね」
友人「味だってそれほど変わらないよなだって丸ごとついてきたレモンを食べるわけではないのに」
俺「レモンが嫌いな人もいるのかな」


漫才をみたあとだとなぜか少し優越感に浸れる嘗ての記憶の一頁であった

障害者でも月の収入を30万円まで上げよう

こんばんは。
真似してはいけない収入の増やし方。
まあ普通の方には真似できない。いや真似したくもないですね。

僕の尊敬する人は、「野見隆明」さんです。
野見さんは松本人志が進行していた深夜番組働くおっさん劇場の名物おっさんでした。

そのあとはこれまた松本人志の脚本映画さや侍で主演も果たしています。

野見さんをなぜ尊敬するのか。
野見さんの短期記憶の悪さはピカイチかもしれません。テレビで映してよいギリギリの容姿かもしれません。それでも野見さんには何かわからない魅力があるからです。

そして自分自身にそっくりだからです。

野見さんみたいに人にどう思われていようとも周りを信じてひたむきに生きていきたい。そう思わせてくれるのが野見さんの才能です。


ですがそんなことをいって
僕は犯罪者へ足を一歩踏み入れつつあります。

障害者に対する社会の軽視にも原因はあると思いますが
障害者年金、傷病手当、一般就労(賃金)、
マイナンバーで一元化といくら掲げていても責任の所在が統一されない限り事実の露見や問題視する声はなかなかあがりません。

どこまでも特別で可哀想な人たち、それが障害者なのです。

死ねばいい

まじで!!

死ね 死ね 死ね!!

はぁ。

ほっとけ。
俺は今の職場のまわりにそこまで求めない。

だからほっとけ。
悪いのは社会。

機転なんていらないよねぇ。

マニュアルのことができればお見事。
マニュアルだってそれ以上のことは書いていないからね。

だからほっとけ。

少し悪いことを考えると眠れない

セイカツホゴ以下の収入の救済措置として傷病手当て金をもらうかどうか
実際無理なんだと思うよ杓子定規で考えれば就労状態にあるわけだから
ただ傷病手当て金の目的に鑑みれば過去の標準報酬額以下の賃金しかもらえてな状態すなわち当人の完全な状態ではない状態と捉えて収入の一定保護をするのは当然じゃないか
現に給料の一部をもらっている場合は標準報酬の6割だかに満たない部分は傷病手当て補っているわけでしょ
それが退職して再就職したら面倒みませんではあんまりだよこっちは頑張って働こうとしといるんだ
まあ実際のところ共済組合からけんぽ協会に変わったりけんぽ協会から国民健康保険に変わったりした場合に雇用保険や健康保険は一体どこまで連携しているの
なんか健康保険証の2枚持ちとか自営業で給与をもらいながら昔の会社から傷病手当を受給とかできそうな気がしてしまうんだよな

ハローワールド

ときどき自分がネットで言われる最底辺の暮らしをしていると思うと悲しくなる。
割と将来があって安定していた身分として育ってきたこともあって何もない休日の朝とかに起きて「あれ俺なんで生きてるんだっけ?」とか浮かんできては余計に惨めに感じることがある。それでもいつかくる(??)陽の目を夢見て晩に寝ては朝に起きてなぜか前だけを見て仕事をしている増田。


簡単にいえばいまの収入は生活保護の支給額よりもほんの僅かに少ない。
それに社会保険などの控除を踏まえたらそれはもうとてつもなく少ない。

週末に駅前のショッピングモールで一週間分の食材の買い出しをして週の後半はスパゲティやうどんで食いつなぐのがいまのやっとの食生活だ。駅前といっても特に大きいわけではない。しがない地方都市の住宅地が建て並ぶ何の変哲もない小さな駅。新宿や名古屋、梅田にあるのような高層商業ビルディングのなかで白いコック帽をした料理人が並ぶビュッフェで仕事帰りに夕食がしたい。そんな夢を増田は抱いては捨てる。

貯金なんてもはやできる余裕などなければ増田には副業で稼げるスキルもない。
財形を含め保険などの勧誘はくるはずもなければできるはずもなくクレジットカードすら更新できるような収入を持ちあわせていない。

それでも増田が働き続けるのは一体なぜか。
認めたくはないけど唯一これが増田の適切な市場価値だからなのか...

収入に不満があるかと言われれば実力以上の収入をもらうよりは幸せだと答える。
増田は強がりだ。

日本は成熟した国家。
たとえ最底辺であってもわりと生活は恵まれていると思わざるを得ない。
しかしこれも詰まるところ運でしかないのが皮肉なところ。

自分で住む場所を選び自分で仕事を辞めて自分で働く職場を選択する。
実はこういうことに増田は支えられているのかもしれないな。

変に朝から遠い目をして増田は記事を書きながら昔読んだ「選択の科学」という本にあった言葉を思い出した。

選択肢は多ければ多いほど適切な判断ができるというものではない。

すなわち幸福は恵まれていることではなくて運とほんの少しの選択肢の中から自分で決断して生きることだということだ。

増田はそう曲解して自ら運を放棄して今日をまた生きていく。