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自閉症という障害を持つ者が考える自閉症という障害について

今後の方針

自閉症は社会生活にとって障害だ

叶うのなら治って普通の生活がしたい

それでも人は誰でも少なからずコンプレックスは抱えているだろう

たとえば容姿(目が小さい)や体型(太りやすい)、学力(希望する大学にいけない)など

折り合いをつけてそれぞれの場所で活躍をしている

たとえばスポーツ選手(運動神経を活かして)、...

自閉症に折り合いをつけて自閉症のいる場所で生活をする

    ・なぜならその他のことは向いていないのだから

スポーツ選手がスポーツ選手だけで生活しているわけではない

社会生活は他者の理解で成り立っている

自閉症を受け入れる社会も必要である

たとえば知識の理解に限らず、補聴器、車椅子のようなものから字幕やバリアフリーのようなものまで

個人的な意見

理学、リハビリ的なアプローチが悪いとはいわない

もちろん必要で有り難いこと

しかしこれらは普通の人、富める者の発想であって強者からの歩み寄りである

困難を抱える者の本質的な解決には繋がっていない

同時に強者と弱者の構図は解消されていない

本質的な解決とはなにか

知的障害者が普通の知能を持つことか

身体障害者が五体満足になることか

聴覚障害者の耳が聞こえるようになることか

どこまでが普通でどこまでが普通じゃないの

線引きの問題

たとえば知的障害者が文字を書けるようになったら普通の知能を持つことになるのか

脳の伝達物質が少ない、脳の体積が小さいこと原因だとしたら

染色体異常や消化器内の物質と関連しているとしたら

音を脳が認識すれば正常といえるのか

脚を移植するのはよくて義足ではいけないの

普通の定義

障害となる原因の理解

原因となる要素の整理と関連

解決方法

(再現性)

個人的な意見

障害者が望むのは当然本質的な解決

しかし一重瞼を二重瞼にしたいから

アイプチをして1日を過ごす

整形手術をして10年を過ごす

加えて遺伝子情報を操作して100年先も残す

ということが実は本質的な解決なのかといえばわからない

加えて一重瞼に比べて二重瞼が好ましいという根拠はどこから

社会の受け入れるかどうかの問題ではないのか

一重瞼を受け入れる社会も必要である

無限ループというように関連している

何が正解なの

正解は自分なのか

自分を優先するか他人を優先するかの違いなのか

自分が何をできるか認めてその範囲で創造することが大切なのでは